「孤独」ということに関して。
現代人に必要な時間として「孤独」な時間というものが必要なのではないかと思う。
携帯電話、SNSの発展により今では誰とでもすぐに繋がることができるように
なったが、一方で自分と向き合って対話する、という時間が減ったように思う。
自分は何がしたいのか、どういう分野に興味が有るのか、どういう方向に進んでいくのか
どうしたいのか、何をして生きていきたいのか、
そういった悩んでも悩んでも解決しないような問題を唸って考えこむ時間を取ることが減ったように感じる。
何かあれば、周りに同調して、周りに嫌われないように自分の考えを抑えこんで。
自分の意見を通したら嫌われるんじゃないか、と考えてやりたくもないことをやる。
本当にもったいないことだと思う。
世間の考えに合っていない行動を取ると村八分にされるようなことが多い。
その考えが正しい、と誰も自信を持って証明できないのに。
誰も責任はとってくれはしないのに。否定だけは躍起になって行う。
何故なのだろう。
結局自分と対話し、自分自身の頭で考える、という行為をしていないから
ではないかと思う。
テレビが言ってたから。
親が言ってたから。
周りが言ってたから。
・・・。
それに関してじゃあ自分はどう思うのか。
ここがすっぽり欠けてしまっている。
テレビではこう言っていたけど自分は違うと思う。
親はこう言っていたけど時代が違うからその考えは合わない。自分の時代ではこう思うから違うと思う。
自分と対話し、向きあう時間を作っていないから自分の頭で考えることを
放棄し、周りがそう言っていたからとなんとなく意思決定をしてしまうのだろう。
「孤独」が怖いから。一人が怖いから。
仲間はずれが怖いから。
孤独 = 悪の図式を小学生、ヘタすれば幼稚園、保育園時代から植え付けられている私達には自分の意見、考えを貫き通す意志を持つことは難しいのかもしれない。
もう少し、一人の時間を取って周りの意見を全て排除した時に自分はどうしたいのか。
どうなりたいのかを考える時間をとってもいい。
と、いうよりもそういう時間が現代人には必要だ。
毎日飲み会で愚痴を言い合い、過去を振り返り、昔話に花を咲かせるのも結構だが、
たまには自分と対話して見る時間を作ってみると自分が本当はどういう人間なのかを知るいい機会になるかもしれない。
会社員って楽だなっていう風潮
会社員って楽だなっていう風潮には概ね賛成だ。
面倒な人間関係はあるが、基本的にはどんなに
無能な人でも食いっぱぐれる事はない。
どんなにやる気がなくても言われたことを
こなしていればとりあえずは食えるぐらいの
給料がもらえる。
しかし、個人的には会社員って奴隷だと思っている。
会社員が楽だと感じるのは「奴隷の中の平和」なのだ。
一定の生活は保証してもらう代わりに二度と戻ってこない
自分の「時間」という対価を労働力として提供している。
その「時間」という対価はどんなに権力、資産を持っていようとも
全員に同じ24時間しか与えられない。
その時間を買っているのは経営者、資本家。
経営者、資本家は奴隷たちに最低限のお金をあげ、
自分たちの時間を買っている。
会社員は安定していて、会社員をやめるとか考えられない、
といっているけど、奴隷で幸せと感じるのだろうか。
昔読んだ歴史の教科書に載っている奴隷たちの姿を見て
日本の士農工商の中の農民の姿を見て
昔はこんなふうに虐げられていたんだな、と感じたことは
ないのだろうか。
会社員だって一緒だ。
結局会社員で働いていたら働いたぶんの利益は
経営者、資本家の懐に入り、自分たちには最低限しか入ってこない。
そんな奴隷でいるのはごめんだ。
それなのになぜ誰かの下について働かなければ、この世の終わり
みたいな言い方をされるのだろうか。
もう答えは出ている。
会社員が楽というのは奴隷という世界の中では、
楽という意味だ。
そもそもその奴隷以外の世界を知らないのだから
他が楽かどうかもわかっている人がいないのだろう。
だから、外の世界に飛び出そうとする人たちを引き止める。
おとなしく奴隷でいたほうが楽だし、安心だよ、と。
そんなおとなになるのはくだらないしださいだろう。
そんな風に生きるために生まれてきたわけじゃないだろう。
そう、思う。
Webの可能性
この本読んだ。
Webの可能性について言及した本。
時代の変化により、
自分の「好き」、「やりたいこと」を発見して
それを仕事にすることは可能となってきた。
勤めている企業を辞めた人生のレールを
外れた言われている人にも可能性がある。
Webを使えばね。
「人は雇用関係や金銭的契約に基づく強制力によって働くもの」という
経済や企業理論の前提たる常識が、オープンソースの世界では通用しない。
今の時代は大きな転換期に差し掛かっており、
昔の資本主義の考え方が崩れてきているということを
筆者は語っている。
インターネットの進化によって働き方、生き方を変えることも
できる。でもそれを信じる人は少ない。
インターネットが進化したことによって「学習の高速道路」が
できたということを語っている。
だれでも学ぼうと思えばインターネットの検索窓に知りたい
キーワードを打ち込めば瞬時に知りたい情報にアクセスできる
ことを指しているのだと思う。
日本では「そうだ、走ってみよう!どこまでいけるか、行ってみよう!」という人よりも、「沿道で物を売ったらどれだけ儲かるだろう」とか「まだ整備されていないのに危険だ」とか「そんな道路、いらない!」と言った意見がまだ根強い。
そこまでネガティブでない人にしても、インターネットを通じて、働き方や生き方を変えることができるということを本当に信じている人が日本にはどれだけいるのか」
大組織と小さい組織、個人でお互いの取り合うパイも異なる。
大組織は益々「巨大」になり、その巨大さを活かして強みとする
事業を行っていく。
そこからあふれるニッチな隙間、ニーズを的確に見極めれば
小さい組織でも個人でも十分に生きていくことは可能だ。
筆者は大組織に勤めて成功できる人はある条件があるという。
それを満たせるのなら大組織に勤めて旧来のロールモデルを
目指すべきだと語っていた。
その条件が以下の7つ。
- 「配属」「転勤」「配置転換」のような「自分の生活や時間の使い方を他者によって規定されること」を、「未知との遭遇」として心から楽しめる。
- 与えられた問題・課題を解決することに情熱を傾けることができる。その課題が難しければ難しいほど面白いと思える。
- What への「好き嫌い」やこだわりがあまり細かくなくおおらかで、一緒に働く人への「好き嫌い」があまりない。仮にあっても、苦手を克服することを好む。
- 「これが今から始まる新しいゲームだ」とルールを与えられた時、そのルールの意味をすぐに習得してその世界で勝つことにまい進することに興味を覚える。
- 多くの人と力を合わせることで、個人一人ではできない大きなことができることに充実感を覚えるチームプレイヤーである。
- 「巨大」なものが粛々と動くことへの関与・貢献に達成感と充実感を感じ、長時間長期の「組織へのコミットメント」を厭わず、それを支える持久的体力に優れる。
- 組織への忠誠心や仕事における使命感のほうが、個の志向性よりも価値が高いと考える。
要は、個人の感情を押し殺し、会社に順応できる人が
大企業でも成功できる、ということだ。
しかし、みんながみんな自分を押し殺して生きていけるわけではない。
自分がどうしてもやりたいこと、好きなことがあった場合、
それを我慢する必要はない。
しかもそれを仕事にしていけるのならば
人生においてこれほど素晴らしいことはないはずだ。
やりがいのある素晴らしい人生だ。
いわゆる「好きを貫く人生」
この人生を達成するのがWebを使えば
昔よりは簡単に達成できるのだ。
既得権益を占めた老人たちに
搾取される人生ではなく、
自分で方向性を決め好きを貫いて行く人生を
歩んでいこうと感じた。
自分のやりたいことが少しだけ見えてきたかもしれない
本当に少しだけだけど
自分のやりたいこと、
方向性が見えてきたかもしれない。
自分がやりたいのは
インターネットという便利な媒体を
使ってもっといろいろな人に
技術、情報を届けていくことだ。
元々インターネットに
興味をもったのは小学生の頃だった。
PCをつけてLANケーブルを
接続して、InternetExplorerを
ダブルクリックすれば。
その先には自分の知らない世界が
広がっていた。
初めてPCをつけた時の感動は
今でも覚えている。
まるで新しいゲームソフトを
買ってもらったような印象だった。
それからは夢中で毎日PCを
いじっていた。
キーボードのキー配置を
覚えるのも一苦労で、
必死に表を見ながら
格闘していたこと。
自分で作ったホームページが
荒らされて、掲示板、チャットが
炎上して、プロバイダから
自宅に電話がかかってきて
ホームページを閉鎖したこと。
当時流行っていたブラウザゲームの
「モンスターの王様」
「箱庭諸島」
にはまっていたこと。
FLASH全盛期の時代に
友人に教えてもらった
「赤い部屋」や
「ここはど~この箱庭じゃ」
「ウォーリーを探さないで」
といったFLASHを視聴して
涙目になったこと。
そのあまりの圧倒的な凄さに
将来は絶対にインターネットを
使った仕事をするぞ、と
思っていた。
インターネットを知らない人たちに
この凄さを届けたい。
自分もそういうサービスを作って
行きたい。
そういうふうに思っていたことを
思い出した。
そして現在SIerになったが、
思ったのはインターネットに
ついてはほぼ触れない、ということ。
インターネットを知らない人に
サービスを提供するなんてことは
一切しない。
設計書を作って機器いじって
納品して、対価を得る。
思っていたこととは全然違った。
自分がやりたいのはもっと
インターネットを使って
ワクワクを届けたり、
より良い世界にすること
だったはずだ。
もっと具体的に言えば
インターネットを知らない人と
インターネットを結びつけてあげる。
その人にとっては些細なことでも
実はとんでもなくすごいこと
だったりする。
しかもその情報を必要としている
人がいる。
それでもどうやってその情報を
届ければいいかなんてわからない。
インターネットを使って
届けるのである。
インターネットを使えば瞬時に
情報を届けることができる。
その情報を知っているか
知らないかだけで劇的に
変わる情報を誰でも瞬時に
得られるようになる。
「インターネットで世界をより良く」これが昔抱いていた思いだった。
技術を極めて何か面白いものを
創りだして行きたいわけじゃない。
普通に生活していては本来
出会わなかった情報、人を
つなげてあげたい。
そうすることによってその人の
人生にインパクトを与えたい。
これが自分のやりたいことでは
ないのか、とふと思った。
じゃあ具体的にどうしていくのか
どういうことをすれば
なれるのか。
さっぱりわからない。
Webディレクターが方向的には
近そうらしいが。
でも職業なんて関係ないのだと思う。
職業に縛られて考えが
狭まってしまうのは
一番怖い。
日本を、世界をなんて思わない。
例えば近所のおじいちゃん、
おばあちゃんが趣味でやっていた
些細なことが実はとても
価値あることだったと気付いて、
それが生きがいになったら
とてもよいことではないか。
あまりいい具体例は思い浮かばない
けれどもオンラインとオフラインを
うまくつなぎあわせていけることが
できたら、それって本当に
素晴らしいことだと思う。
もっといろいろな人に
インターネットの可能性を
知ってもらいたい。
それを広めて世の中をよりよく
していくことが自分のやりたいこと
なんじゃないか。
そんな気がしました。
生きる理由がわからない
働き始めて1年と8ヶ月。
自分が思い描いていた生活、というのは
こういう未来だったのだろうか。
いつの時も目的はなかった。
取り敢えずその時社会的に「正解」と
言われることを常に模索し、
その模範になろう、と行動してきた。
周りの目を気にして
周りの反応がいいことを
やっておけば受けはいい。
敵はいなかったけど
同時に味方もいなかった気がする。
事なかれ主義でその場を過ごす。
その場はやり過ごせるけど
問題を先送りにしているだけだった。
傷つくことを恐れて自分の安全は守って、
相手にも踏み込まない。
相手に深入りしない代わりに
自分にも深入りさせない。
それまでやっと関係を築いてきた人たちに
否定されるのが怖いから。
どうしようもなく臆病で、弱いのだ。
そんな自分の弱い素を出したら
否定されるんじゃないか。
そう思って強いふりをしてきた。
自分が本気で好きだと思っていた人は
自分にとって
代替の聞く存在でしかなかった。
ただ自分の寂しさを
紛らわすだけの存在だった。
「誰でも良かったんじゃないの?」
そう聞かれて返す言葉がなかった。
なぜその人が良かったのか、
考えても考えても
自分のことをかまってくれるから。
それだけしか出てこなかった。
自分が何かを与えたい。
何か力になってあげたい。
俺が幸せにしてやる。
そうやって引っ張っていくことを
いつの日からか諦めていた。
所詮他人は他人だし、
俺が言ったところで変わるわけない。
だったら、何をしたってしょうがない。
自分が変わって近づくことを諦めて、
自分の素のままを受け入れてくれる
人だけを探していた。
自分が変えてやろうと思わないのは
やっぱり否定され、
傷つくのが怖いからだろう。
だから周りの意見を迎合してきた。
周りがいうことをやっていれば
周りは満足する。
やることをやっていれば、
やっているふりをすれば、
所詮周りは満足するのだ。
しかし、自分の意志はそこにない。
果たして周りに合わせる生き方をしていて
自分の人生を生きている、
といえるのだろうか。
もう少し自分の人生について
本気で向き合っていれば
こんな悩みは生まれなかったの
かもしれない。
むしろこういう悩みを持っていない人も
多いだろう。
そうだったらどんなに幸せか。
一番聞かれて困る質問がある。
「何を目指しているのか」
「どうなりたいのか」
一切ない。
正確には想像できない。
だからこそ私は惹かれてしまう。
何か明確に目指しているものがあり、
その理念に向かって
まっすぐ進んでいる人を。
そんな人達と共に歩んでいきたいと
思っているが、
今の私では邪魔にしかならないのだ。
意志がないから。
理念に向かって
まっすぐ進んでいる人にとっては
その理念こそが自分の生きる目的
なのだろう。
すべての判断基準、
軸がそこに集約するから
一貫性が生まれる。
発言、行動が一貫するから、
その人の周りには理念に賛同する人が
集まりやすく、共感しない人は
自然と離れていく。
結果、その理念を体現することに
なるのだろう。
社会人になる22,23までは
自分の人生に本気で
向き合ってこなかったのだと思う。
しかし向き合ってみて始めて、
自分は人を引っ張っていく器ではない、
ということに気づいた。
引っ張っている人をサポートする、
そんな立場が適任なのだろう。
正直、今の社会は生き辛い。
昔と比べ、情報の幅が広がったことも
その一つの要因であろう。
昔は考えなくてもこう生きるもの
という定義が暗黙的にされていた。
考える必要がなかったのだ。
今この状況で何も考えず
ただ生きていくのは自殺志願者としか
思えない。
そんな生き方ができるとも思えない。
何も考えない作業、仕事なんて、
機械でまかなえてしまうからだ。
我々は機械ではない。
考えても考えてももしかしたら
答えなんかでないのかもしれない。
自分の強みなんてないのかもしれない。
天職がないのかもしれない。
それでも考えなければいけない。
考えて考えて行動しなければならない。
そういう地道な行動をし続けた人が
自分の強みを見つけられるのだろう。
あなたの時間は限られている。
だから他人の人生を生きたりして
無駄に過ごしてはいけない。
ドグマ(教義、常識、既存の理論)に
とらわれるな。
それは他人の考えた結果で
生きていることなのだから。
他人の意見が雑音のように
あなたの内面の声を
かき消したりすることの
ないようにしなさい。
そして最も重要なのは、
自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけか
あなたが本当になりたいものを
すでによく知っているのだから。
それ以外のことは、
全部二の次の意味しかない。
【スティーブ・ジョブズ、米国の経営者、
米国アップルの創業者の一人。
アップル上場によって巨富を得て
20代で米経済誌フォーブス長者番付に
ランクインする。
自由奔放な言動により役員から解任される。ジョブズ退社後、
アップルは業績不振に陥りジョブズを
呼び戻すことになる。
革新的な製品を開発し
アップルを再興する。
同業者からも信望が厚い人物】
働く時間について
働き始めてずっと疑問に思うことがある。
なんで、どの企業もばかみたいに9:00出社、18:00退社という制度にするんだろうか。
同じ時間働くなら、12:00出社、21:00退社の企業とか6:00出社、15:00退社という制度の会社があってもいいように思うのだが。
そうすれば通勤ラッシュもなくなり、帰宅ラッシュもなくなる。
どの企業も考えないのだろうか。
どなたか教えて下さい。
働き方が変わる
働き方がかわる、と言うのはあながち間違いでもないのかもしれない。
産業革命、IT革命に続いて、今は組織から個人へ力が移っているワーク・シフトというものが叫ばれている。
今までは組織が大きな力を持っていて、個人がそれに抗うすべはなかったけれども
今ではネットの恩恵もあり、個人であっても組織に対抗できるような力を持つことが可能となっている。
自分の中で一番大きいな、と思ったのがウィキリークスとかアノニマスだった。
個人でも組織に匹敵するほどの影響力を持つ人もいる。
企業側もテレビCMで不特定多数の人に流すより、口コミやYoutube、ニコニコなど個人をターゲットにその商品を興味ある人に流すほうが効果が高い、と考えシフトしている。
自分でも頭ではわかっていたけれど、昔のフリーターや派遣社員が時代の寵児ともてはやされたように、一過性のいわゆるはやりみたいなものではないかと思ってきた。
なんだかんだ言うけれど、結局大企業に定年まで勤めて安泰の道を進むのが一番なんでしょ、と。親の言うとおりにしておけば親も安心して、自分も安心だろう、と。
それがどうやら最近は違うのではないかと感じてきた。
企業に勤めて定年まで働く、というモデルを目指すことに強い不安感を覚えるためだ。
なぜかはわからないけれど、サラリーマンを見てると危機感がないように感じる。
いや、あるにはあるんだろうけど、持っている危機感が些細なもの、というか。
嫁との喧嘩の原因であったり、お小遣いが少ないであったり、彼氏彼女に振られたであったり。
ほとんど誰一人として、今の自分の生活が危うくなる、といったことに関しては心配していないだろう。
このままの働き方ではまずい、とか。時間を提供するだけの働き方ではいずれ取って代わられてしまうから、何か代替のないスキルを身に付けなければ、とか。
そんなに平和ボケしてていいのだろうか、と思う。
私事だがそういう平和ボケの部分を大企業では多く見てしまうので、嫌気がさしたんだろうな、と思う。
死ぬか、生きるかぐらいのところで切磋琢磨しなければ生き残って行けない。
現状に甘えると楽ではあるが、その楽に満足してしまってはあっという間に
30,40と歳を重ねうだつのあがらないおっさんになっていくのは間違いないだろう。
絶対にそれだけは避けたい。
最近個人でも仕事をして生計を立て、勤め人よりも自由な生活を
満喫している人達を見て考えたことでした。
おそらく、そもそもの前提が違うんだろうなー。
安定なんてない。